03日 |
(日) |
16:13 |
|
|
さて、24年が経過しました。
しかし、物心が付いたときに『私』が生まれたとするならばそれよりも短く、『私』を探求し始めてから(俗に言う " 自分研究 " を始めてから)とするならば10年と足らず、創作活動を『私』の足枷にしてからとするならば、たかが数年目と言えましょう。
つまり、私はまだ生き足りないのです。2021年度も随分と長く感じましたが、それでもなお『私』を醸成するには足りませんでした。はて、あと何年、何十年、この世に放置すべきでしょうか。
少なくとも私は、まだまだ時間をかける気でいます。時間がかかって良いと考えています。時間よかかってきやがれなどと言います。
それでは、本年度もよろしくどうぞ。 |
|
|
16:16 |
|
|
という文章をLINEタイムライン(現 LINE VOOM)に投稿した。私の誕生日といえば長文をぶちまけるのが作法だ。
あの場所はそもそも使う人が少なく、結果的に私だけが毎月のように創作物公開の告知をし、もはやスパムか何かと思われてブロックしている人もいるだろうこと請け合い。そしてそれに拍車をかけるようなシステムの改悪ときた。
私は確信犯と自負しよう。
本来は知人の近況報告を見るためだったあの場所が、運営によって知らない人の「はしゃぎ」を見るための場所に成り下がったことへの復讐と、もしかしたら惰性で生きているかもしれない旧友への宣戦布告を兼ねた、私なりの、過去の私と過去の私と過去の私と……今の私によるシュプレヒコールである。
そう、このデータログもまた、物好きだけが見ることになるだろう。物好きのために、私は私であり続けようじゃないか。物好きだけは、私の存在を覚えていてほしいと願う。頑固ながら。 |
|
|
16:18 |
|
|
さて、上記の文章は少し演出がすぎるのではないかと、私も時々思う。
しかし、これは己の気持ちを的確に表現するための処置である。こうするしかないのだ。
もし口頭で気持ちを述べよと言われたら、私は言葉を詰まらせるか黙ってしまうだろう。気持ちを瞬時に言葉にするのは大変難しいのだ。
そうは思わないか?映画の感想を、なぜスラスラと瞬時に言える?果たしてその言葉はその人の心に正しいだろうか?
心の中を、時間をかけて、丁寧に、的確な文章にした結果が、つまり上記の文章である。どうしても文章という表現自体に演出効果があるので、演出がかった表現に見えるだけであり、私に言わせれば、心にもない感想の方がよっぽど演出である。
私にはこれが心に正しい。 |